その後も何度か大学に行き、籍を戻してくれるよう頼み込んだのだが、退学の決定は覆えらなかった。大学に再び入るためには、一年以上たったのち、再入学試験を受けるしかなかった。
退学を知った父親の怒りはすさまじく、仕送りは止められて、再入学するまではアルバイトでもなんでもやって、自分で生活費を稼いで生活しろと言われてしまった。そうなるとそれまで住んでいたアパートの家賃は払えなくなり、どこかもっと安いアパートへ引っ越しをしなくてはならかった。お金がもっと必要になったので、居酒屋のアルバイトもそれまでは夕方の5時から夜の10時までだったのだが、マネージャーに頼み、閉店まで働かせてもらうことになった。マネージャーは二つ返事で私の頼みを聞いてくれた。私はいろんなことが重なってつらい時期だったのだが、マネージャーは働き手が増えて嬉しそうにしていた。
引っ越し先もできるだけ早く探さなくてはならなかった。私はかねてから興味を持っていたとある町に当たりをつけて、二日間不動産屋を探しながら、その町を歩き回った。不動産屋を見つけると、入り口に貼ってある物件情報を見た。私の予算に合いそうな物件があると店の中に入って、その物件についてより詳しい情報を店員に尋ねた。私の予算は月5万円ぐらいで六畳ひと間の風呂トイレ付きを考えていたのだが、その町でその値段の部屋はなかなかみつからなかった。2日間町中を歩き回り、良い物件が全く見つからないので、諦めて別の町にしようかと思いながら駅の方に向かって歩いていると、駅のそばに木造一階建ての小さくて古ぼけた不動産屋を見つけた。入口には、黒と朱色の筆書きで書かれた物件の紙が入口いっぱいに張り付けてあった。入口全面に貼ってあるので、店の中の様子はほとんど見えなかった。貼ってある物件情報を一つ一つ見ていると、一枚だけ私の予算に合う物件があった。それは「2階、六帖、風呂トイレ付き、駅から徒歩10分、月5万3千円」という張り紙だった。私はその不動産屋の入口の扉を開け、中に入った。
不動産屋の中に入ると、目の前にカウンターがあり、そこには40歳ぐらいの男が座っていた。
「すいません」と私はその男に声をかけた。男は机から顔を上げて、私の方を見た。
「何か御用ですか」
「表に出ている物件で詳しく話をお聞きしたいものがひとつあるんですが」と私は言った。するとその男は立ち上がり「どれですか」と言ってカウンターを離れ、私の方に近づいてきた。私と男は一緒に店の外に出て、私は男に興味を持った物件を指で指し示した。男はそれを見ると、「あぁ、これね」と無感動な調子で言った。「これならまだ空いてますよ。部屋を見たければ今から案内しますけど」「本当ですか」と私は言った。「えぇ。ここから歩いてすぐだから」「ぜひお願いします」と私は言った。すると男は再び店の中に入り、カウンターの奧の机に戻った。カウンターの後ろの壁にはたくさんの鍵がかけられており、男はその中から一つの鍵を選ぶと、それをズボンのポケットに入れた。ハンガーにかけてある上着を羽織ると、再び彼は私の方に近づいてきた。私と男が外に出ると、男は店の入り口の扉を閉め、鍵をし、「外出中。1時間ほどで戻ります」と書かれた札を扉にかけた。
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