その電話は母親からだった。親とはたまに電話で話すことはあったのだが、その日の電話の母親の声はいつもと違って暗かった。私は心配になり「どうかした?」と聞くと、母親は「あんた知らないの」と言った。「何を」と私が聞くと、「あんた大学を退学になってるわよ」と言った。それを聞いて私は絶句してしまった。しばらくは電話上で二人とも黙っていた。最初に口を開いたのは私の方だった。「嘘だろ」「ほんとよ。うちに大学から手紙が来てるから。あんたのところには来てないの?」「来てない」と私は言った。すると電話の向こうから「ちょっと俺に替われ」という父親の声が聞こえた。母親は父親に電話を替わった。
「これは一体どういうことだ」電話を替わるなり、父親は厳しい口調でそう言った。どうやら父は怒っているようだった。どういうことも何も私は何が起こったのかさっぱり分からないので、なんと答えて良いか分からなかった。私は小さい声で「そんなはずはないと思うんだけど・・・」と言った。すると父親は私の言葉を打ち消すように、「手紙にはお前は取得単位不足で退学になったと書いてあるぞ。お前ちゃんと大学に行ってるのか?」私はそう聞かれて言葉に詰まった。実際その当時私はほとんど大学に行かず、居酒屋でアルバイトをするだけの生活を送っていたから。何と答えるかしばらく考えて私は正直に答えることにした。
「正直言うとあんまり行ってないんだ」すると父親は大声で、「なんでだ!」と怒鳴った。あまりに声が大きいので、受話器から聞こえる声はびりついていた。正直に言えば、女の子にフラれて、やる気ゼロで、大学に行って勉強する気なんかしない、というところなのだが、そんなことを詳しく親に話したくなかった。そこで私は違う言い回しを思いついた。
「ちょっと調子が悪くて」
「調子が悪いってどういうことだ。何の調子が悪いんだ。身体の具合が悪いのか」
「いや、身体の具合は悪くないんだけど・・・」
「じゃぁ、なんだ。はっきり言え。言わないとこっちは分からないだろ」そこまで言われても私は詳しく話したくなかった。何と答えるかしばらく考えて私は次のように言った。
「今は調子が悪くて、大学に行けないけど、良くなったら必ず大学に戻るから・・」その後父親は電話口でしばらく黙っていた。黙ってはいたが、興奮している父親の荒い息遣いだけは受話器から聞こえていた。私は息をのみ、父親の次の言葉を待っていた。するとひときわ大きな声で父は言った。
「大学に行ってないような奴のことなんか俺は知らん!」そう言うとがちゃんと大きな音を立てて、父親は電話を切った。
電話の翌日、私はすぐに大学の総務課に行った。総務課で自分の実家には自分が退学になっているという知らせが行っていて、本人には何の連絡もない、こんなひどい話は聞いたことがない、と窓口で私の対応をしてくれた女性事務員にまくし立てた。するとその女性は落ち着き払った様子で「学生証を見せてもらえますか?」と言った。私は懐から学生証を取り出し、彼女に渡した。「ちょっとここで待っててください」と彼女は言って、事務所の奥の方に引っ込んだ。しばらくすると彼女は50歳ぐらいの男性と一緒に私の所に戻ってきた。戻ってくると彼女は私に学生証を返し、自分の席に戻った。受付にはその男性と私だけが残された。男性は小脇に抱えた分厚いファイルをカウンターの上に置いた。
「話は聞きました。退学になっていて、実家の方にだけ連絡が行っていて、あなたのところには連絡がなかったということですか」と男性は私の顔を見つめながら言った。
「そうです。ひどいじゃないですか。こんな重大なことを本人には知らせず、実家にだけ知らせるなんて」と私は怒りを込めてその男性に言った。すると男性は私の言葉にさして動ずることなく、カウンターの上に置いてあるファイルに目を落とし、それをぱらぱらとめくり始めた。とあるページにたどり着くとファイルに目を落としたまま、彼は落ち着いた口調で言った。
「大学からはあなたにも手紙を出してますよ」
「本当ですか」と私は疑り深そうに言った。
「えぇ。全部で5回出しています。最初の3通は黄色い郵便で、最後の2通は赤色の郵便です。あなたは一度も見ていないのですか」そう言われて、私は言葉に詰まってしまった。実を言うと、私は当時やることなすこと全てが面倒くさく、郵便ポストに入っている手紙をいちいち確認せず、よくまとめてひっぱり出してそのまま燃えるゴミの日に捨てていたのだ。何しろ私のアパートの郵便ポストは小さいくせに、いつもピザやお寿司などのデリバリーのダイレクトメールや、訳の分からない勧誘広告が入口からはみ出すほど詰まっており、私はそれを見るたびに腹を立てていた。あんまり頭にきたときは、つまった郵便物を丸ごとひっぱり出して、確認せずにそのままごみ袋に捨てていたのだ。
「送付先の住所を見せてもらえますか」と私は最後の抵抗で聞いてみた。男はカウンターの上の分厚いファイルを私の方に向けて、「送付先住所」という部分を指で指した。それはその当時私が住んでいたアパートの住所に間違いなかった。
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