列車に乗ると、中は空いていて、自分の好きな席に座ることができた。窓際に座り外を見ると、男はまだベンチに座って一人で酒を飲んでいた。やがて列車は動き出し、上野駅を出た。
私は列車が駅を離れると、心の底からほっとした。なぜならその男は話を続けるためなら、私の旅行にまでついてきたそうな勢いだったから。列車がしばらく暗闇の中を走っているうちにだんだん眠くなってきた。私はバックパックを枕にして、壁に寄りかかり眠りについた。
金沢駅についたのは翌日の朝だった。駅に着くとお腹が空いていたので、駅の中にあるうどん屋でうどんとおにぎりを食べた。食事が終わると私は日本海の海岸行きのバスに乗った。バスが海岸に最も近づいたところで、私はバスを降り、海岸に向かって歩きはじめた。
私は日本海というものを自分の目で見るのはその時が生まれて初めてだったのだが、それがその日の天候のせいなのか、日本海というものはいつもそうなのかは定かではなかったが、辺りはどんよりとしていて、色に例えれば灰色だった。私が馴染んでいた頭上で太陽がさんさんと輝く、真っ青な太平洋の海とは似ても似つかなかった。砂浜には壊れた木造の小舟が半身をさらし、私の横をかもめが低空で飛び去って行った。そんな中を歩き回っていると、それは生まれて初めて見る風景なのにもかかわらず、以前どこかで見たことがある風景のような気がした。私はこの既視感がどこから来るのか、砂浜の上を歩き回りながら一生懸命考え続けた。しばらく砂浜の上を歩きまわっているうちに、ようやくそれがとある演歌の歌詞から来ることが分かった。その演歌の歌詞の内容は、その日の日本海の風景と寸分違わず一致していた。既視感の理由が分かったところで私は納得してバス停に戻り、金沢市中心部行きのバスに乗った。
金沢で一泊した後、私は黒部ダムに向かった。黒部ダムを訪れたのには理由があった。旅行のガイドブックを見ていて、いくつか行ってみたい観光地の候補があったのだが、黒部ダムが映画になるほど有名なダムであることは知っていたし、もう一つの理由は、もしかしたらそんな巨大な建造物をみたら、失恋なんてものは些細なことと思えるかもしれないと思ったからだ。ところが実際に黒部ダムを見ても、失恋が些細なこととは全く思えなかった。確かに黒部ダムは巨大で勇壮だった。ダムのえん堤の上を歩き回りながら、その全景を見渡していると、この建造物を完成するのに一体どれくらいの年月と人的資源がかかったのだろうと感嘆した。しかし黒部ダムが立派なことと、私の失恋は全く関係がないようだった。ダムから帰る途中ロープウェイに乗ったときなんか、空高く吊り下げられた、乗客もほとんどいない客車の中で一人揺られていると、なんだか無性に悲しくなってきて泣きそうになった。
黒部ダムを離れると、長野に向かった。長野はなんとなく自然が豊かで、気候が良く、美しい土地というイメージを持っていたので、一度訪れてみたい場所だった。あと、長野はそばが美味しいと聞いていたので、本場のそばも食べてみたかった。長野駅に到着すると、私は駅の周辺を歩き回った。イメージ通り、その町並みはとても美しかった。そば屋も何軒かあったので、外から眺めて、一番美味しそうな店に入った。確かにそのそばは自分がそれまで食べてきた地元のものより全然美味しかった。
長野の後はそのまま上野行きの列車に乗って東京に帰るつもりだった。ところが途中私の乗った列車は軽井沢に停車することが分かった。軽井沢が有名な避暑地であることぐらいは、中学生の時社会の授業で習って知っていた。もう二度とこの近辺に来ることもないかもしれないなと思って、軽井沢で途中下車して街の様子を見てみることにした。軽井沢駅でその列車を降り、駅の周りをしばらく散策した。それはとてもおしゃれな町並みで、まるで絵本から出てきたような家が並んでいた。2時間ほど軽井沢駅の周りを散策して、再び上野行の列車に乗った。
東京へ戻る列車は行きの列車と違って、ほとんど満席だった。私は一人窓際の席に座り、真っ暗な外の風景を眺めながら、果たして今回の旅行が失恋の傷を癒したかどうかについて考えてみた。結論から言えば全く癒していなかった。それどころか私の乗った車両は、幸せそうな男女のカップルや家族連れでいっぱいで、彼等が幸せそうに自分の愛する人とおしゃべりをしたり、笑ったりしているのを見ると、何だか自分が世界一不幸な人間に思えてきた。
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